住所:
福井県敦賀市櫛川1-5
神紋:
調査中
御祭神:
仲哀天皇
神功皇后
御由緒:
当社は往昔より別宮大明神と尊称し、其の他由緒詳らかならざれども、聖武天皇天平二十年(748年)異賊襲来して西浦海岸に至りし時、その十一月十一日の夜、敦賀の天地轟々震動して、久志川の浜辺には数千株の緑松が忽然一夜の中に簇生し、これに数万の白鷺が群集して、あたかも樹上に白旗の翩翻たる如く見え、また西浦海岸の立石付近には数丈の巨岩が突然海中に屹立して船の進路を妨げたので、これを見た蒙古の賊徒は、天の為せる此の堂々たる威風に恐怖し未だ一戦に及ばずして、敵船悉く海中に覆没し、敵軍の溺死者数を知らずと伝えている。
この神瑞霊異の事実を氣比宮の神官が委曲天聴に奏聞したので氣比宮の御造営の宣旨があった。其節櫛川と松原にも神社を創立したと云われている。
当社御創立の以前は氏神に山神社を奉斎していたものの如く推想される。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
不明
社格:
村社

◆◆◆

雑感:

櫛川にある別宮神社です。

初めは櫛川神名社であったが、後に郷民から別宮大明神と称されるようになったそうである。別宮とは本宮(氣比神宮)の別の宮という意味。

敦賀には蒙古襲来の伝説が多い。しかも元寇の時の話ではなく、奈良時代の話である。
由緒にも書いた櫛川の松原伝説や、立石の巨岩伝説。五幡辺りでは実際に戦闘が行われたらしく、蒙古の耳塚や首を切ったと言われる首取阪の伝説などがある。

ここでいう異賊・蒙古とは何者なんだろうか?ホントに蒙古族だったのだろうか?
これは後世、異賊来襲が元寇の際に蒙古来襲の話にすり変わったのではないか?
この時代、内陸部のモンゴル系民族が海を渡ってやってくるだろうか?新羅人や、渤海人ではないだろうか?

・・・とまぁ、いい加減に推測したものの学者ではないので結局は分からない。それでもこういう伝説には浪漫を駆り立てられる。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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