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住所: |
神紋: |
調査中 |
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御祭神: |
譽田別命 |
御由緒:
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往昔より宇佐八幡社、又は奥宮と尊称した。 口碑によれば此の社地は、古来稲荷社の鎮座地であったが、人皇三十四代、推古天皇の御宇に、池見殿と云う貴人この村に居住せられ、その住居付近一帯を池見の郷と称した。 曾々其家に一人の姫君が誕生したが、幼少の頃この地の田稗にて目を損い、之が原因にて終に見まかりければ、池見殿哀愁の情止み難く、遂に病を得て薨去せられた。これより後、この村人田稗を作れば目を損うもの多く出で、人々之を池見殿祟りと怖ぢ惘むので、池見殿の孫なる人が、此地に一宇の社殿を建て、神饌禮奠懈怠なかりしに、尚も目を損うものが多いので、宇佐八幡大神を相殿に齋き祀りたりと伝えられている。 『敦賀郡神社誌』より引用 |
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創建: |
推古天皇御代(593-628) (八幡大神合祀年代) |
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社格: |
村社 |
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雑感: | 樫曲にある八幡神社です。
市内から国道476号線を新保方面に進み、大蔵、深山寺を越えてすぐの集落が樫曲であるが、神社は集落の東のはずれに鎮座している。 境内はすごく良い雰囲気だが、すぐ横に道路があるため、森厳さは半減する。 由緒の通り、元は稲荷社であったが、池見殿の祟りを鎮めるため八幡神を合祀した。稲荷の名は時と共に忘れ去られたそうである。 池見殿の話は樫曲八幡神社の起源説話だが、これとよく似た話が市内の余座に残っている。 また余座の奥側には中池見という名の地名がある。話の内容は少し違うが、なんかしらの関係性があると思われる。 境内社には日月の宮と大照宮がある。神社誌の内容から写真:左中央が日月の宮で、写真:右中央が大照宮であると思われる。 【日月の宮】 【大照宮】 |
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