住所:
福井県敦賀市樫曲字稲荷4-13
神紋:
調査中
御祭神:
譽田別命
御由緒:
往昔より宇佐八幡社、又は奥宮と尊称した。
口碑によれば此の社地は、古来稲荷社の鎮座地であったが、人皇三十四代、推古天皇の御宇に、池見殿と云う貴人この村に居住せられ、その住居付近一帯を池見の郷と称した。
曾々其家に一人の姫君が誕生したが、幼少の頃この地の田稗にて目を損い、之が原因にて終に見まかりければ、池見殿哀愁の情止み難く、遂に病を得て薨去せられた。これより後、この村人田稗を作れば目を損うもの多く出で、人々之を池見殿祟りと怖ぢ惘むので、池見殿の孫なる人が、此地に一宇の社殿を建て、神饌禮奠懈怠なかりしに、尚も目を損うものが多いので、宇佐八幡大神を相殿に齋き祀りたりと伝えられている。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
推古天皇御代(593-628)
(八幡大神合祀年代)
社格:
村社

◆◆◆

雑感: 樫曲にある八幡神社です。

市内から国道476号線を新保方面に進み、大蔵、深山寺を越えてすぐの集落が樫曲であるが、神社は集落の東のはずれに鎮座している。

境内はすごく良い雰囲気だが、すぐ横に道路があるため、森厳さは半減する。

由緒の通り、元は稲荷社であったが、池見殿の祟りを鎮めるため八幡神を合祀した。稲荷の名は時と共に忘れ去られたそうである。

池見殿の話は樫曲八幡神社の起源説話だが、これとよく似た話が市内の余座に残っている。
余座では古来黍を作らず、又畑の畦畔を二股にせぬという。その由来は横椋神社の祭神が二股の畦畔で躓いて、黍の葉で目を突いたからだという。

また余座の奥側には中池見という名の地名がある。話の内容は少し違うが、なんかしらの関係性があると思われる。

境内社には日月の宮と大照宮がある。神社誌の内容から写真:左中央が日月の宮で、写真:右中央が大照宮であると思われる。
それぞれ由緒が残っているので、ここに記載する。

【日月の宮】
御祭神不詳。 元手筒山に鎮座していたのを、何時の頃か八幡神社境内奉遷した。

【大照宮】
御際神は天照皇大神。往昔より代将軍社、又は大縄宮と称した。当区入口の木の芽川沿いに欅の大木があり、元はその根元に祠があった。本八幡神社を奥宮と云うのはこの為である。水害の為、明治初年に本社境内に遷した。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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