住所:
福井県敦賀市駄口字宮脇7
神紋:
調査中
御祭神:
大山咋命
御由緒:

この社は亀山天皇弘長二年二月の創立なりしも、何時の頃にか廃絶の態となりしが、文政三年四月再建して、明治十一年三月村社に列せられたのである。
明治四十三年十二月十日、追分区日吉神社に合祀した。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
弘長二年(1262年)
社格:
村社(明治四十三年迄)

◆◆◆

雑感:

駄口にある日吉神社です。

疋田から161号線に進み、滋賀方面にずーっと向うと集落に入る道がある。分り難いので、ぼーっとしてると見落としてしまう。

集落南側の入口を入ってすぐ、右手側山麓に日吉神社は鎮座している。

この日吉神社だが、追分の日吉神社に合祀されたせいか記述が少ない。
しかし、社殿も鳥居も残っているということは元に戻したのだろう。明治時代に合祀-廃社を行った神社は、後に復活させた所も少なくなかったと聞く。

境内はさっぱりとしており、社殿もこじんまりしているが、3層の石垣は少し立派である。

駄口は古来人馬の駅として栄えた村で、人の往来は多かったが、安政三年(1856年)に深坂街道が開鑿すると、南方の山中村と共に衰退したという。
逆に深坂街道は追分に繋がっているので、これにより追分は一時栄えたが、明治になって新道野道が改修され車が走ると、深坂街道も往来が絶えた。

こうした背景もあって、追分・駄口・山中の神社を一つにまとめてしまったのだろう。何れも西近江路にある村だが、村の栄枯盛衰は正に道に左右されてきたのである。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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