住所:
神紋:
変わり焔玉
御祭神:
倉稻魂命
猿田彦命
大宮賣命
御由緒:

当社は往古より敦賀町狐ヶ辻子町、今の大島区に鎮座し給うを、長享三年の頃越前国司朝倉孫四郎、年久しく眼病にて癒えず。或夜霊夢あり、速に当社に参詣し、神前に祈願書を捧げて帰りしが、日ならずして病は全癒した。
故に其霊徳を報賽の為め現地を卜定して、新に神殿を造営し、狐ヶ辻子より奉遷し御共田若干を寄進し、尚祠官を存知すべき様命ぜられた、然れば此の事を伏見本地稲荷社に急使を以て報じたるに、直に祠官一名を下向せしめ、すなわち號して狐通寺と称し管理せしめ、伝来の神書・記録・寶物等をここに納めた。
其後朝倉・織田の兵戦ありて、祠官等は朝倉氏に荷擔せる為め、本社及び狐通寺は兵燹の厄に遇い、一切を焼失し、又御共田は没収さるるに至ったと云われている。
其後兵乱治まり、崇敬の人々は全部に勸化して社殿を造営し、稲荷大明神と尊称し奉りたので、崇敬最も厚かった。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
長享三年(1489年)
(現在地へ奉遷)
社格:
村社

◆◆◆

雑感:

三島にある稲荷神社です。

この稲荷神社はかなり入り組んだ場所に存在しているため、地元の人間じゃないとちょっとキツイかもしれない。

この稲荷社、歴史を調べるとかなり不幸な運命を辿っている。

かつて敦賀には狐ヶ辻子町という町(区画)があった。今で言うところの相生町、元町の辺りだと云う。
名前の由来は、奉遷前に在った稲荷社に狐が住み着いたからだそうだ。
その後は由緒の通り、長享三年(1489年)現在地に遷された。神職が常駐するくらい立派な神社だったようだが、織田信長との合戦で焼失。

その後、再建されるも、規模は縮小。明治になり、本殿を改築するが、大正十年の近隣火災で中門、回廊が焼失。杜の古木もほとんどが枯死。

その後、改修、整備に力を入れたようで、昭和初期の写真を見るとかなり立派な造りとなっている。
そして現在であるが、当時の面影は残っているものの、かなりみすぼらしくなってしまった。。。

大鳥居や中鳥居がなくなり、かつて植樹されていた木々も見当たらず、辺り一面草生している。。。

。。。

この神社は、何度も繁栄と衰退を繰り返してきた。
祭神の稲荷神は穀物の神で、豊穣と再生を司る神でもある。またいつか神社も、人の心も稲の如くが立派に実る日が訪れることだろう。そう願う。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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