住所:
福井県敦賀市山中
文化財:
-
カテゴリ:
地蔵
由緒:

このお地蔵さんは足利尊氏の命を受けて金ヶ崎城の戦いで亡くなった小笠原貞宗です。
(信州松本城の前身を築きました。)
この戦いで多くの家来を亡くし、責任を感じ「珠の木」「この辺りの地」で残った家来と自刃しました。
死後、足利尊氏によってこのお地蔵さんが建てられました。
貞宗の命で一人だけ生き残った家来の「貞吉」によって「珠の木」が記念樹として植えられ、今日にいたっています。
前に流れる川は、貞宗の位「五位の川」 と名付けられました。
妻ミヨは敦賀追分出身で、この地に来られた親鸞聖人に仕えて、貞宗にみそめられ結婚し、一人の男の子、松本城主、長時をもうけました。生前から兄によって出世頭として、この地でお地蔵さんとして建ててもらいました。
峠を往来する私達をあたたかく見守ってくれています。

松本家

案内板より

作成時期:
不明

◆◆◆

雑感:

山中(集落名)にある祭地蔵さんです。

去年の夏頃、私は山中に在るという幻の日吉神社を探して、Googleストリートビューで8号線を辿っていた。その時に偶然発見したのがこの地蔵である(興味のある方はご確認いただきたい)。

今まで何度もこの道を通っているのだが、地蔵の存在にこれっぽっちも気付かなかった。注意力が無いのだろうか?

案内板の内容が気になったので、ネットで調べてみると、色々と不思議な点が見つかったので以下に記載する。

1.小笠原貞宗
金ヶ崎の戦いでは小笠原長貞宗は北朝方として参戦しているが、亡くなってはいない。亡くなったのはその後10年ほどしてからである。

2.小笠原長時
この武将は甲斐の虎武田信玄とも領土を争った武将で、戦国好きには有名な存在である。
案内板では貞宗の子ととれるような書き方をしているが、九代後の子孫であり、時代が違いすぎる。
あと、この辺りから説明が良く分らなくなってきている。

3.五位の川
一般的な説話では、藤原利仁将軍が五位の大夫を屋敷に招き、芋粥を振る舞った話からきている。
しかし、こちらも説話に過ぎず、どっちが本当とは言えない 。
また、この時点で貞宗が五位だったかどうかは不明。これより前に、後醍醐天皇から正三位を賜ったと言う話はあり。

と言うように、色々と不思議な点がある。あと、名前の由来も不明である。

それにしても、ネットで簡単に調べられる良い時代になったなー。

 

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