@参道と本殿
住所:
福井県敦賀市金ケ崎町1-1
神紋:
十六八重菊・五三桐
御祭神:
尊良親王
恒良親王
御由緒:
金崎宮の創建は両親王の英魂を鎮祀し給う聖慮に出でたことは、由緒所記の如くであるが、金崎の戦にて時と所を異にす雖も、是が難に殉じたる者、悉く盡忠将士所謂斃れて後已みたるもののみなるが、就中氣比氏治の如き身一社の神職にして、此の時代、この場合慨然として、勤王の大義を唱え、正義人道の為には、勝敗を度外に措きて、其の進退を過らず、その他の将士亦忠勇義烈、克く萬世に人臣たるものの範を示せるものであるが、爾来星霜経ること五百有余年にして、王政維新の鴻業成り、明治の聖世に及びて、畏くも尊良親王・恒良親王を御際神とし、金崎宮と称し官幣中社に列せらるべき旨仰出され、後又摂社絹掛神社に当時の殉難将士を合祀せしめ給うる事となった。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
明治二十三年(1890年)
社格:
官幣中社

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雑感: 金ヶ崎にある金崎宮です。

敦賀で桜と言えば金ヶ崎、金ヶ崎と言えば桜。
毎年桜の季節には「花換え祭り」が行われ、市内外から花見客が訪れる。

そんな金ヶ崎だから、どうしても桜の季節の写真を載せたかった。そして、満を持して撮ってきた写真がこれ(写真:全て)!

まさかの一分咲き!!!残念。写真はまたリベンジしよう。。。

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この金ヶ崎にはかつて山城があり、名もそのまんま金ヶ崎城と言った。
その金ヶ崎城に「建武の新政」後の争乱で落ち延びてきた新田義貞が、尊良親王、恒良親王を奉じて籠城した。しかし奮戦の甲斐空しく、落城。尊良親王、新田義顕は自刃。恒良親王は捕縛の後毒殺された。
また、この戦では気比神宮の大宮司である気比氏治、南条杣山城の主瓜生保も戦死している。

亡くなった尊良親王、恒良親王を主祭神として祀り、摂社絹掛神社には気比氏治他、多くの戦死者を祀っている。

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追記

写真を撮り直しました。
今年は八部〜満開の時に行けたので、前よりはマシに撮れたかな。。。
でも、 腕がないから、伝えられるのは1割にも満たないけど。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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