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住所: |
神紋: |
調査中 |
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御祭神: |
武田伊賀守以下四百十一柱 |
御由緒:
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慶応三年三月敦賀の修験行壽院が神祗伯白川家の許可を得て其の院内に御霊大明神と尊称して諸士の霊を祀り、明治七年十一月水戸の人、根本彌七郎墓地附近に一小祠殿を創建して、松原神社と称し、英霊を祀らんことを官に請いしが、翌八年一月二十五日之を允許された、之が公に英霊を奉祀し、国家鎮護の神と仰ぐに至った始原である。
『敦賀郡神社誌』より引用 |
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創建: |
明治七年(1874年) |
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社格: |
無格社 |
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雑感: | 松原にある、松原神社及び水戸烈士の墓です。 【要略】 ------------------------------------ 幕末は佐幕派か倒幕派かで好みが分かれる所だと思う。前者では新撰組が有名だろう。後者だと桂小五郎、大久保利通、西郷隆盛など。水戸天狗党は広義の意味で後者に含まれるだろう。 烈士の墓の案内には「悲劇のヒーロー」と書かれていた。私はあまりどちらにも思い入れはないが、「ヒーローは持ち上げ過ぎじゃない?」と思った。じゃぁ幕府側で戦った人間はヒールなのだろうか?彼らも彼らなりの信条のもと戦ったはずなのに。 ただ、私たちが後世どうこう言うよりも先に武田耕雲斎は一つの答え、というか憂いを遺している。 「討つもはた 討たれるもはた 哀れなり 武田耕雲斎 |
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