【ジャンル】 伝説
【カテゴリ】 大蛇
【 地 図 】 福井県敦賀市疋田〜山中
【其の他 】

なし

【 概 要 】
其の一.
昔々、疋田の庄屋に年頃の綺麗な娘がいた。村の青年たちにも評判の娘であったが、みな高嶺の花と諦めて手を出さなかった。

ある日庄屋が娘を連れて代官屋敷を訪れた際、代官は親戚の青年を紹介し、見合いをさせた。
庄屋としても願ってもないことなので、話はとんとん拍子に進んだ。
青年は美男子ではなかったが、ほとんど欠点のない人物であった。しかし娘は首を縦に振ろうとはしない。
父はそんな娘の気持ち無視して、強引に婚約を決めてしまった。

それからの娘は、決められた結婚を厭う気持ちで悶々とした日々を過ごした。
そんなある日、一人の青年と出会った。村のどこに住んでいるのか分からないが、色白で美しい青年だった。
その青年は娘が外出する度に出会い、5度目に出会った際娘は青年に呼び止められ、五位川のほとりで父が呼びに来るまでの間、時間を忘れて話をした。

それから数日は外出を行わなかったが、どうしようもない焦燥感にかられ、また逢いに行ってしまった。
娘の様子がおかしいと後から尾けていた父が、青年の前に歩み寄った。
青年は落ち着いた様子で「娘さんを私に下さい」と父の庄屋に言った。

もちろん父が許すわけはなかったが、青年のあまりの熱意に押し切られてしまった。
父は青年に無理難題を出し、それが出来れば娘をやると約束した。青年は了承し、駄口の方へ向かった。
実は青年は黒龍の化身であった。駄口にあるねぐらで一生懸命考えたが、解決方法は見つからず、とうとう疋田へ戻ることができなくなってしまった。

娘は幾日も青年の帰りを待ったが、そのうち婚約者との祝言の日が近づいてきた。
娘は思い余ったすえ家を飛び出し、五位川を遡って青年を捜した。
しかし青年は見つからず、娘は精根尽き果て、駄口の手前の笈掛けの松から身を投げてしまった。

後に炭焼きをしている農夫が、雨の日に笈掛けの松の辺りで黒龍と白龍が仲睦まじく抱き合っている姿を見たという。
それから可愛そうな二人のために、白龍と黒龍を祀ったのである。

其の二.
それから時代は昭和になり、国道161拡張工事で五位川に橋を架けることになったが、作業をしていると黒いめくらの大蛇が出てきては仕事の邪魔をした。追い払っても追い払っても、出てきて仕事の邪魔をする。
その人夫は翌日から寝込んでしまった。他の作業員も気味悪がって、仕事場へ行こうとしない。
話を聞いた現場監督は、そんなことがあるものかと仕事を進めるが、やはり大蛇が出てきて邪魔をする。
さすがの監督も肝を冷やし、地元の神主にお願いすることにした。
お祓いを済まし、その後無事工事は完了したということである。

『阿原池』より要約

【 雑 感 】
疋田に残る、黒龍と白龍の伝説です。

長くなってしまったが、これはあくまで要約で本当はもう少し丁寧に書かれている。
気になる方は敦賀市立図書館へGOだ!

この話は800年ほど前ということなので、平安末期〜鎌倉時代の話である。侍、代官、庄屋等が登場しており、敦賀の大蛇伝説の中では時代がある程度はっきりしている。

話自体は昔話によくある大蛇と人間との悲恋の物語である。2人は結局蛇となって、今も仲睦まじく暮しているというオチも付いているし、これ本当に日本昔話で採り上げてくれないかな?結構いい話だと思うんだけど?

さて、この伝説に関する場所であるが、笈掛けの松は現在ごみ集積場になっており、松自体も切られてしまったそうだ。
そして2人を祀る祠だが、白龍の祠は大岩大権現に向かう途中の滝の上(写真:左、中央)に鎮座している。
そして黒龍の方は161号線沿いの橋の上に碑があるということだが、これが見つからない。
何度か五位川に道路が架かる場所を探したのだが、それらしいものは発見できなかった。
まさに青年を捜しに行った娘と同じ状態である。

ただ山中の辺りに、黒龍散水場設備(写真:右)、黒龍停車場等の名前が残っているので、その辺りなんだろうとは思う。
黒龍の碑については続けて調査を行っていくので、発見し次第こちらで報告しようと思う。
ていうか誰か知ってたら教えて。

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【追記1】
ごーちゃんさんから掲示板にて

>はじめまして、7月25日に仕事で福井まで行くことなりました。
>R161経由でいくことになり、かねてより山本素石氏の著作で気になっていた「盲目の黒龍」の碑を探してみようと思いつきました。

>ありました! 国道の黒龍の施設からカーブ2つ程下ったガードレールのすぐ外側(西側)で、五位川に流れ込む小川のところに。
>ちょうど高さ60センチほどの小さな碑でしたが、昭和38年建立とありました。

>氏の著作の通りでしたので、感激しました。

ありがとうございます!!ようやく光が見えました。
発見し次第 こちらにアップしたいと思います。

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【追記2】
ごーちゃんさんから黒龍の碑の写真を頂きましたので、掲載させて頂きます(写真:左から4、5枚目)。

ごーちゃんさん、有難うございます。

 

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