【ジャンル】 伝説、説話
【カテゴリ】 御霊信仰
【 地 図 】 福井県敦賀市樫曲
【其の他 】

関連:八幡神社

【 概 要 】
人皇三十四代、推古天皇の御宇に、池見殿と云う貴人この村に居住せられ、その住居付近一帯を池見の郷と称した。
曾々其家に一人の姫君が誕生したが、幼少の頃この地の田稗にて目を損い、之が原因にて終に見まかりければ、池見殿哀愁の情止み難く、遂に病を得て薨去せられた。
これより後、この村人田稗を作れば目を損うもの多く出で、人々之を池見殿祟りと怖ぢ惘むので、池見殿の孫なる人が、此地に一宇の社殿を建て、神饌禮奠懈怠なかりしに、尚も目を損うものが多いので、宇佐八幡大神を相殿に齋き祀りたりと伝えられている。

『敦賀郡神社誌』より要約

【 雑 感 】
樫曲に残る伝説です。

日本では古来より、悲惨な最期を遂げた人は死して後その怨みや無念さから災厄をもたらす存在になると考えられていた。
いわゆる怨霊である。
そしてその災厄から逃れる為、怨霊を御霊として奉り崇めることで祟りを鎮めてきた。
これが御霊信仰である。崇徳院や菅原道真、物部守屋等が有名である。

概要に書いた通り、樫曲の八幡神社は元々池見殿親子の御霊を鎮めるために建てられたものであった。
この池見殿の祟りはかなり凄まじいものであったのか、その後弘仁年間(810〜824年)に区民が祟りを避けて奈麻須(なます)坂麓に移住したと言われている。奈麻須坂は樫曲区の北方山側にあり、越坂集落に続く坂を言うらしい。

御霊信仰は怨霊を鎮め崇めることで、 逆に自分たちを守護する存在に変えるという意味合いも持ち合わせている。
しかし伝えが本当であれば、社を建てた後もその存在は護るモノに変わっていない。
それは池見殿の無念が晴れていないのか、或いは区民の怖れが消えない為なのかは分からないが、現在もほとんどの民家が神社から離れた場所に建っており、神社周辺は薄ら寂しい感じである。

 

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