【概要】 武内刀祢は知謀すぐれた大将であった。官軍六千騎を2手に分けて、刀根と杉箸の谷へ行かせた。刀根谷では竹を割って輪とし葉を千鳥掛けに編み皿を作った。これは当時の皿である。これを刀根谷より、川へ流した。後にここに里ができて杉箸村という。 またその夜櫛川浜松原が一夜にして生じ、その松の枝ごとに白鷺が止まっていた。それを蒙古軍には大勢の軍兵がいるように見えた。きのう川上にいた軍勢が今角鹿浜辺まで押し寄せて来たと早合点して、あわてて気比の海から江良・五幡へ逃げ、置きに船を並べていた。 『越前若狭の伝説』より引用 |
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関所建てから、氣比の海についての伝説です。 ここでは八景の内、一気に関原・越の中山・角鹿山・気比の海を紹介する。 気比の松原は一夜にして松原が生えたことから「一夜の松原」とも言われており、複数ある蒙古来襲伝説のほぼ全てに登場する。 |