【概要】
荒血山の合戦に敗北した蒙古軍は、矢田野村まで退却してここに陣を構えた。
追撃してきた大伴武持は、刀根村で仲哀天皇の軍と合して、麻生口より二三百メートルばかり刀根村に寄った地点に陣取って、ここでまた大決戦を行った。
武内宿弥両方の山また野の上から火を早く点けよと命じた。軍兵百騎ばかり三方に走り、一時に火をかけた。時に二月下旬のことなので、枯れ草がよく燃えて、野中は一面の火となり、黒煙がうずまき、蒙古が陣取った足もとまで火が燃えてきた。
蒙古は進むことができず、野尻へ退いた。
天皇はこれを見て、矢先を並べてさんざんに射たので、一矢で二三人も射倒し、から矢は一つもなかった。これにより蒙古軍は千騎ばかり倒れたので、角鹿の津へ逃げ、もとの船に乗って、海上四キロばかりにこぎ出して、いかりをおろして並んでいた。

官軍数万機が矢種を惜しまず射たので、矢が田の中に数知れず落ち留まったから、この野を矢田野というようになった。
この矢田野にくつわ虫畑という旧跡がある。くつわ虫が数千この畑に集まって、毎年夏から秋まで鳴く様子はあたかも数万の軍勢のくつわの音のようである。これは当時の戦の状況を末代まで知らせようとする神力の方便である。
わが国におけるくつわ虫の名は、ここから始まったのである。

『越前若狭の伝説』より引用

矢田野合戦についての伝説です。

写真は麻生口(矢田野)の入口付近。仲哀天皇率いる日本軍はここからさらに刀根寄りの場所だと言う。
地図で確認しても、数千もの軍勢が陣を張れそうな場所は無さそうだが。。。

上記の伝説では、当時の戦の状況を末代まで知らせるためにくつわ虫が鳴いているということであるが、別の伝説では討ち死にした蒙古軍がくつわ虫になったのだと言う。また、蒙古軍の将は野づち(蛇の妖怪、ツチノコ)になったのだそうだ。

 

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