住所:
福井県敦賀市津内町2-1-12
神紋:
右三巴
御祭神:
天照皇大神
倉稻魂大神
火産霊大神
事代主大神
御由緒:

当社は往古の由緒詳かでないが、口碑及び文献に徴すると、文明年間以来当国領主朝倉敏影等、当社付近に射場を設けて弓術を練った。故に今も射場町域は殿町等の旧称がある。
然れば其頃より朝倉氏は代々当社を崇敬すること厚く、長享二年当社付近の館跡を與へて、他より地福院を移し、改称して法泉寺と号し、御館の山号を以ってしたので、御館山法泉寺とも称し、この寺會をして当社の社會を兼ねしめた。
然るに元亀年間の兵乱に社會は信長の為に破却せられ、元禄年間今の地に再建したが、天保二年十二月二十日法泉寺炎上の事ありて、遂に寺記什寶と共に当社に関する記録、寄進状等の古文書總て灰燼に帰し、今は明確なる徴証に乏しいのである。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
不明
社格:
村社

◆◆◆

雑感:

津内にある神明神社です。

由緒の通り、創立は不明であるが戦国時代の元亀年間には既に存在していたようである。

拝殿は銅板葺き流れ造りで、回廊もあり、造りはしっかりしている。
神社誌によれば、火事による焼失の後、愛宕社、蛭子社を合祀し、明治八年、当時の郷社八幡神社の社殿を譲り受けたそうである。
立派な社殿であったそうだが、昭和三年に域内の拡張のため社殿を新築した。当時の写真を見ると、瓦葺で、現在とは造りも違っている。

現在の造りにした経緯は、老朽化によるものか、はたま火事によるものかは分からないが、由緒ある社殿だっただけに残念である。

ただ、神社を文化財として捉える事は近代以降の価値観(全てではないが)であり、それ以前は老朽化したら新しく建て直す事が、より信心が篤い行為であった。その考えは現在でも生きている思われる。

神社などは古くなればなるほど、味が出て、神さびてくる。それはそれで素晴らしいことであるが、神社建築を次代に残すためには、式年遷宮のように造り直すことも大事なのかもしれない。
境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

inserted by FC2 system