住所:
敦賀市結城町〜三島町近辺
文化財:
市指定文化財(永賞寺九重塔)
カテゴリ:
建造物
由来:
天正十一年(1583年)蜂屋頼隆が五万石の敦賀領主となり、旧笙ノ川河口の左岸に敦賀で初めての平城を築いたが、同十七年に頼隆が病死すると、領主は豊臣秀吉配下の大谷吉継と交代した。
吉継はこの城を整備拡充するとともに、町も整えていった。三層の天守閣をもつこの城は、現在の結城町と三島町一丁目にまたがるものであった。
慶長五年(1600年)関ヶ原の合戦で西軍に属した吉継は敗れて自刃した。
元和元年(1615年)の一国一城令により城は破却された。

付近案内板より引用

建造時期:
天正十一年(1583年)

◆◆◆

雑感:

かつて敦賀の笙ノ川付近にあったと伝えられている敦賀城です。

この敦賀城なぜ幻かというと、築城からわずか30年できれいさっぱり壊され、現在も正確な位置が分かっていないのだ。
去年くらいに、初めて跡地の西小学校から敦賀城の遺構が発見されたほどで、全容解明まではまだ時間がかかりそうである。

現在は写真のように城の一部が市内に点在しているのみである。

@写真左上
来迎寺表門。敦賀城の中門を移築した。

A写真左中央
真願寺前の城址碑。

B写真左下
八幡神社の欄間。元敦賀城の欄間飾りであったそうだ。

C写真右上
西小学校前の案内碑。敦賀城→奉行所→県庁舎(旧・敦賀県)→警察所/裁判所/病院→尋常小学校(現西小学校)というように変遷した。

D写真右中央
八幡神社。敦賀城の礎石。

E写真右下
永賞寺の大谷吉継供養塔。伝承によれば没後9年経ってから建てられたらしい。

このほかにも、当時の襖や、大谷吉継に関連したものが市内に点在している。。。

というか、敦賀はもっと大谷吉継をプッシュすべきだと思うんだよね。
メジャーな武将とは言えないでも、関ヶ原では活躍したんだし、なんと言っても我が街の殿さまなんだから。。。

 

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