住所:
福井県敦賀市浦底字上城5-18
神紋:
調査中
御祭神:
武甕槌命
御由緒:
当社は往昔より天王社と尊称し、明治元年三月神社調査の際に、愛宕神社と登載せしも、同十七年十二月十八日劔神社と改称した。
惟うに昔時は神仏習合の神社多く、殊に当社の如きは其の顕著なものであって際神大梵天王・帝釈天王等の仏教の神名を用い、天地の鬼魂邪悪を退除さるう神であると、信じられているのは、仏教即ち天竺では帝釈天は三十三神の主で天帝と称せられ、又梵天は万物造化の主で、圓満具足大自在神と称し、修験道では祈祷に用う幣束を梵天王(梵天に奏する意)と称した処より、最初鹿島明神を祀り、幣束を御神体としたのを後世修験者又は社僧が、其の神体を梵天王と呼び奉り、遂に之が神名になったのであろう。さもなくば神仏混淆時代に、仏教神の説に感化された結果であろうと思う。

『敦賀郡神社誌』より引用

創建:
不明
社格:
無格社

◆◆◆

雑感: 浦底にある劔神社です。

141号線を真っすぐ立石方面に進み、色浜を越えてすぐの集落が浦底である。
集落への入口はいくつか有るが、どれも狭い。個人的には、一番北側にある入口がお勧め。

由緒の通り、鹿島→梵天→武甕槌命と祭神名が変わった神社である。社名も天王社→愛宕神社→劔神社と改称を繰り返している。

武甕槌命は別名が鹿島明神なので、まぁ元に戻したという感じなのだろうか。社名も鹿島神社にすればいいと思うのだが、そうはならず愛宕神社を経て今の劔神社となった。
そうならなかったのは多分、境内社に鹿島神社があったためだろう。当たり前だが祭神は武甕槌命である。
そう、この神社は本殿と境内社の両方で同じ祭神を祀っているのである。伊勢神宮の荒祭宮のように同じ祭神の荒魂(神の荒々しい側面)を祀ることはあるが、ここの場合はそうではない。

祭神を梵天から、鹿島明神に戻したが、それまで祀っていた境内社の処遇に困って残したままにしたのではないだろうか?

まぁ何にせよ、好き勝手に名前を変えられて困ったのは村民と当の神様だろう。。

境内の趣
全体の森厳さ
場所の分り難さ
※★は評価ではなくあくまで個人的な好きポイントです。

 

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