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住所: |
文化財: |
敦賀市指定文化財 |
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カテゴリ: |
史跡、古戦場、墓 |
其の他: |
南北朝時代(西暦一三三六〜一三九二)後醍醐天皇の皇子恒良・尊良親王を奉じて、金ヶ崎にこもった新田義貞は足利尊氏の大軍に取囲まれ、兵糧の道をふさがれた。 付近案内板より引用 |
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建造時期: |
明治三十四年(1901年) |
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雑感: | 樫曲にある瓜生保の墓(戦死の地)です。 瓜生保は南北朝時代の武将で、旧・南条町(現・南越前町)杣山城主である。 この辺りのより詳しい話は『太平記』に載っている。 さて本題の瓜生保の墓であるが、これまたしんどい場所にある。 その通り進んで見ると山へ延びる道が現れ、そこにも「瓜生保の墓こちら」みたいな案内板が建てられている。 息を切らしながら「保、もっと楽な場所で死んでくれ」などと罰あたりな事を考えていると、少し開けた場所に出た。 私は軽く手を合わせて下山することにした。 |