住所:
福井県敦賀市三島町2丁目
文化財:
敦賀市指定文化財
カテゴリ:
名勝、庭園
其の他:

敦賀幸若の屋敷は三ノ丸(三島町一丁目)にあったが宝暦九年(1759年)若狭街道沿いの地に移転した。
この屋敷の幸若庭園は格式を重んじた武家屋敷の庭園として築庭され、天筒山を借景とした江戸中期の回遊式築山林泉庭園である。
指定面積推定約1,370u。

案内板より抜粋

建造時期:
宝暦九年(1759年)

◆◆◆

雑感:

三島町にある幸若庭園です。

皆さんは幸若舞というのをご存じだろうか?歴史や芸能に詳しい方なら知っているかも知れないが、多くの方は知らないのではないだろうか。

幸若、幸若舞とは室町時代に越前の桃井直詮が創始した芸能で、幼名が幸若丸であった為、幸若舞と呼ばれるようになった。
織田信長が好んで舞ったと言われる「人間五十年〜」で有名な『敦盛』も幸若舞の演目の一つである。こちらは有名だろう。
武士に人気があった為、江戸時代には幕府や各藩から優遇されたが、明治維新後には廃れ、現在は福岡県みやま市に唯一残るだけである。

その幸若氏の一派で、久治朗(後に五郎右衛門)という者がこの三島町に屋敷を建てたのである。この庭園、市指定の文化財ではあるが、天理教の敷地内にあり、ちょっと入りにくい。
人もいなかったし、まぁ注意されたら謝ればいいかなーと、そのまま入る。

庭はきれいに手入れされており、当時の面影を残している(当時は知らないが、庭園図を見た)。ただ手筒山を借景としているとのことだが、現在は建物がある為、観ることはできない。

庭の良し悪しを評価できるほどの目は持っていないが、こういった借景を行っている庭園では、庭から見える景色も含め一つの庭であるから、見えなくなっては文化財の価値としては半減だろう。

こういった名勝と呼ばれるものの保存は、そのものだけを保存すればいいと言うわけではない。周りの景観も含めて名勝なのだ。
その点では京都は徹底している。あそこまで徹底しなければ、本来は守れないものなのだ。
だが、あれは京都のような文化財集中地帯だからできることで、敦賀のような小さな街では難しい。

景観を残すという事と、街を発展させる事。これらを上手く両立させることはとても難しいことである。

 

inserted by FC2 system