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住所: |
文化財: |
敦賀市指定文化財 |
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カテゴリ: |
名勝、庭園 |
其の他: |
敦賀幸若の屋敷は三ノ丸(三島町一丁目)にあったが宝暦九年(1759年)若狭街道沿いの地に移転した。 案内板より抜粋 |
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建造時期: |
宝暦九年(1759年) |
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雑感: | 三島町にある幸若庭園です。 皆さんは幸若舞というのをご存じだろうか?歴史や芸能に詳しい方なら知っているかも知れないが、多くの方は知らないのではないだろうか。 幸若、幸若舞とは室町時代に越前の桃井直詮が創始した芸能で、幼名が幸若丸であった為、幸若舞と呼ばれるようになった。 その幸若氏の一派で、久治朗(後に五郎右衛門)という者がこの三島町に屋敷を建てたのである。この庭園、市指定の文化財ではあるが、天理教の敷地内にあり、ちょっと入りにくい。 庭はきれいに手入れされており、当時の面影を残している(当時は知らないが、庭園図を見た)。ただ手筒山を借景としているとのことだが、現在は建物がある為、観ることはできない。 庭の良し悪しを評価できるほどの目は持っていないが、こういった借景を行っている庭園では、庭から見える景色も含め一つの庭であるから、見えなくなっては文化財の価値としては半減だろう。 こういった名勝と呼ばれるものの保存は、そのものだけを保存すればいいと言うわけではない。周りの景観も含めて名勝なのだ。 景観を残すという事と、街を発展させる事。これらを上手く両立させることはとても難しいことである。 |