【概要】 蒙古軍は角鹿に上陸し、都を攻めようと荒血山の麓まで来た。 大伴武持は山中村でこれを聞き、軍勢五万騎を率いて荒血山へ向かった。 味方は小勢であったが、ここを先途と防戦したので、蒙古の数万騎は切り立てられて、荒血山の峰・谷に大ぜいが逃げようとした。 大伴武持はこれを見て、二三百メートル上手の山から荒血山やその尾根続きの山に登り、大石を引き起こして、すき間なく谷へ落とした。 蒙古軍はその石に当たってバタバタと倒れ、二千騎ばかり死んだ。 蒙古軍は、石に打たれて身から血を流し、そのため山道は頂上からふもとまで血の色でもみじのようであった。 それ以来この山を荒血山という。 『越前若狭の伝説』より引用 |
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蒙古軍との緒戦、荒血山合戦についての伝説です。 ここで言う荒血山とは、特定の山ではなく、現在の愛発(あらち)区にまたがる山々を総じてそう呼んだらしい。 詳しく書かれていないので、愛発のどこら辺で戦闘が起こったのかは不明であるが、流石に数万もの軍勢が押し寄せたといのは疑わしい。 写真は異賊軍が登ってきたであろう、西近江路と塩津街道への分岐点から市街地方面を眺めたところ。 |