【ジャンル】 民話
【カテゴリ】
【 地 図 】 -
【其の他 】

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【 概 要 】
一.松原の狐
或る産婦人科へ、夜中に人が訪ねてきた。
聞くと「娘が産気づいているので、往診してほしい」とのことであった。
迎えの人力車で向うと、着いたところは見たこともない立派な屋敷であった。
先生が手を施し無事出産を完了させると、家人から多くのお礼金を頂いた。
しかし家に帰って確認すると、それは全て木の葉であった。以来その先生は夜の往診を行わないと云う。

二.松原の狐
狐が鶏を獲ったのを見た若者たちが、それを奪ってすき焼きをした。
あくる日も狐が鶏を獲ったので、またそれを奪いすき焼きをしていると、
「どうじゃ、旨いか?それは与門の赤子よ!」と狐が言った。
鍋をよく確認してみると、それは野神の与門の赤子であった。

三.市野々の狐
むかしある所に狐がいて、よく人をだました。
或る時干した白子を盗みにきたが、罠が仕掛けてあっては大変と、人に化けて持主の所に聞きに行った。
「今あそこを通ったら狐がかかっていたで」とかまをかけると、持ち主は「そんなはずはない、今日は先祖の命日だから罠はかけないことにしているのだ」と男は騙した。
狐はしめたと思い、盗みに行きまんまと罠にかかってしまった。

四.越坂の白山狐
白山狐という狐が寺の縁の下に棲んでいた。それを稲荷行者が大切に守っていた。
一度追いかけたので怒ったが、一度だけは許した。
いなりおろしの寒修行の時、握り飯を置いて帰ると中身だけ無くなっていた。
普通人には姿を見せないが、行者には見えると云う。

五.狐ヶ辻子の狐
狐ヶ辻子(現・元町付近)の稲荷社にはかつて狐が棲んでいたので、狐ヶ辻子と呼ばれるようになった。
その後、稲荷社が三島に移動し淨蓮寺という寺が建った。
或る日住職の夢に狐が人に化けて現れ、「朝晩寺の太鼓が鳴るので、その音に子供が驚いて困るからやめてもらいたい」と云った。
哀れに思った住職は太鼓を鳴らすのをやめた。それ以後この寺では太鼓を鳴らさないと云う。

六.疋田の城狐
むかし疋田城主のお守りと云われる、白狐がいた。
この狐は悪さをせず、たまにヤンシキ踊り(郷土の踊り)や笛を吹いたりして、村人から人気になっていた。
しかし年をとったのか或る雨の夜、村の豆腐屋の戸を叩いて「揚げ豆腐を十枚くれないか、そうしたら狐の嫁入りを見せてあげよう」と頼んだ。
豆腐屋が揚げ豆腐を十枚与えると、七院さんの方にボーっと灯が点き、花嫁行列が浮かびました。
暫くすると消えて今度は奥野の方に灯が点いた、 また暫くすると消え次は追分の方に点いた。
そうしていくうちに山中から滋賀の方へ消えていき、その後何の音沙汰もなくなった。

『敦賀の民話・民謡』、『越前若狭の伝説』より要約

【 雑 感 】
敦賀各地に残る狐の話です。

狐は古代から神の使いとして、信仰されてきた。それは稲を荒らす虫や、鼠、人に害を与える蛇などを狩るからである。
また荼枳尼天信仰(狐は荼枳尼天を乗せた霊獣として描かれる)と稲荷信仰が習合した点も大きい。
その反面、畑の野菜を荒らし、人の食べ物を失敬する害獣の一面も持っており、それが上のような伝説を残す一因となっている。
また同じように人を化かす生き物で、狐と人気を二分するのが狸であるが、敦賀では狐の話に比べ狸の話が少ない。
生息域の違いだろうか?私も敦賀で狸を見たことがない。

上で取り上げたものはユニークだと思ったほんの一部で、他にも敦賀各地に多くの話が残っている。
多くは全国に残る昔話の類で、化かされた、魚を盗られた、狐火を見たなどである。
また平安時代に書かれた『今昔物語集』には、藤原利仁将軍が滋賀で捕えた狐を使いにして、敦賀に言伝を頼むといったシーンも出てくる。

昔、と云ってもほんの数十年くらい前まではこういった話が多く残っていたのだろう。
しかし現代ではほとんど語られることが無い。私自身、祖父母からこういった類の話は聞かなかった。
岩手の遠野等ではこういった昔話を保存しようという活動があるようだが、ごく一部の地方にすぎない。
まぁこの科学万能時代には仕方ない事なのかもしれないが、こうやって鬼や妖怪等が退治されるわけでなく自然に姿を消していくのは少し寂しく感じる。

 

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